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いのり

仕事へと向かう道に、線路の下を交わり通る道がある。たまに、ちょうど電車が上を通る。
そんな時、僕は心の中で「この電車が通り過ぎるまでに自分がこの道を渡り切れば、あの願いが叶う」なんて勝手に思ったりして、少し足を早めて通り過ぎる。

ほかにも、「ここから投げてゴミ箱に入ったら、あの願いが叶う」とか。外れても、今のは無し、にしたり…

書いていて、変だなって、自分でちょっと笑える。
でも、こんな風に考えることは、誰しもあるのではないだろうか。

とっさの願いで、何が浮かぶだろう?
たとえばそれが一年に一度の初詣でも、「健康で過ごせますように」と、僕は願うだろうか。

たぶん自分はどの瞬間を切り取っても、いい絵を描きたいと思って生活している。出来事全部、そこに帰着する。

…それでも実際、生活の全部の時間を制作に使えるわけではないから、僕はいつも手順を考えながら過ごす。

「絵を描く」というと、多くの人は、画面に向かい筆を動かすことを想像するかもしれない。いい絵を描きたいという話をこれまでしてきたが、そういう意味では僕の場合、実のところは、ずっと描いているわけではない。画面に直接触れている時間は、きっとそこまで長くない。

自分が使う絵の具や紙、また水を溜めて描くという方法は、「描かないことが描くことになる」時間が長い。自然にまかせ、乾いていくさまが、予想しない形を生み出すことがある。
だから僕はよく、夜アトリエを出る前に画面全体に大きな仕事をしたりして、乾かす時間を有効に取れるようにする。
自分が寝ている時間に乾いて、かたちができる。
(この時間を僕はこっそり、絵の妖精や神様が描く時間だと考えたりもしている)

次の日どんなふうに乾いているか、楽しみに、でも切実な、祈りに似た感情で待つ。この時も、あの、電車の下を通るときの気持ちにすこし似ている。


結局、いのりとは、自分に対する決意なのかもしれない。
そういえば神様にお願いする時だってそうだ。自分に誓って、神様には見守っていてもらうだけ。
この願いを、自分はいつも胸に強く思っているという、確認。

そして、たぶんこれがいちばん大切なんだけど、いつも思っていることはかならず叶うと、信じている。